#ads.FMより
2019.01.09

伊賀ゆかりの文豪 横光利一を知ろう  「雪解の集い」実行委員 福田和幸さん

No data 回視聴

「banwago station」火曜日担当のみっちょんです!

昨年2018年は、大正から昭和前半にかけて活躍され「文学の神様」と言われた、伊賀ゆかりの文豪、横光利一さんの生誕120年の年。

三重県立上野高校の同窓会からは記念冊子「横光利一と“ふるさと”伊賀」が刊行され、三重県立美術館では「川端康成と横光利一展」が開催されました。

そんな横光利一さんについて、より詳しくお話を伺うため、1/8は、昭和前期の文壇で代表的な作家になった橫光利一を顕彰されている「雪解の集い」実行委員代表、福田和幸さんにお越し頂きました!

橫光さんが誕生したのは会津の東山温泉。お父さんが鉄道のトンネル工事の技師で各地の工事に携わった人なので引っ越しを重ね、小学校時代の大半は、お母さんの郷里である伊賀の柘植で過ごされました。旧制の三重県立第三中学校(今の上野高校)での5年間は上野の町で下宿生活を。伊賀は、生まれた土地ではないけれど、心身共に大きく成長する大事な時期を過ごした伊賀の地が「自分のふるさとである」と横光さんは考えていらっしゃったそうです。

小学校時代の初めは、自分のことを「ボク」と言ったりする東京弁をからかわれたりしたそうですが、友達といろんな遊びをして、結構やんちゃな少年だったようです。中学校時代は、水泳や野球が得意な体育会系であり、一方で外国の小説を読んだり独特の表現の詩や文章を発表する文学少年の面も見せています。福田さんは、「よそ者扱い」されないように自己主張をする、突っ張ったところを見せたのではないかとおっしゃられていました。下宿の近くに住む少女との初恋の体験もあり、それを後に「雪解」という作品に描いたそうですよ。

上野高校の明治校舎の中には橫光利一資料展示室があり、学校へ申し込んでいただければ見学ができます。また上野城の石垣の上に「青春碑」がありますが、ここは中学生の頃、利一さんが逆立ちをしたという言い伝えの場所です。柘植では、柘植公民館の隣に文学碑「蟻臺上に餓えて月高し」があり、野村区には橫光公園と利一少年が住んでいた家の跡を小公園にして説明パネルが置かれた「撥ねつるべの庭」があるんだそう。

改めて、私達の地元、伊賀ゆかりの文豪 横光利一さんの作品に触れ、ゆかりの地を訪れてみるのもいいのではないでしょうか。

また横光が生まれた3月17日に開催される「雪解の集い」21回目となる催しでは、若い皆さんが橫光の作品を読んで「これがおすすめだ」という発表をしてもらうビブリオバトルを企画していらっしゃるそうです!こちらも楽しみですね!

戻る